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ベルリンの今と昔、2006年からの10年

2000年代 Mitte ベルリン

初めてベルリンに来た時の話 その2

投稿日:2017年8月7日 更新日:

ベルリンまで6時間、電車の旅

本当に勢いで電車に乗った。ベルリンに住むことになってからも、アムステルダム行きで利用するICベルリン〜アムス間、6時間の旅だ。

こういう時、やはりフレキシブルなのは電車のいいところだ。飛行機でこんなことやっていたらそれこそあっという間にお金がなくなるし、飛行機はやはり安いとは言えフレキシブルさに非常に欠ける。乗り遅れもそうだし、制限が多く、ベルリン〜アムス間くらいだと、飛行機にするか電車にするか非常に微妙なところ。
というのも、結局飛行機は1時間強しかかからないとは言え、移動時間やチェックインなどを考えると(そして中心部までの移動時間も考慮すると)、アムスまででも4〜5時間は取られる計算になるからだ。その点、電車ならばいきなり中央駅から行動できる、もう少し居たいなと思えば延長も簡単、そして乗り遅れても基本的に大丈夫。
デメリットは時間がかかること、時間がかかることもあってかそういう路線だと終電が早いこと(ベルリン〜アムステルダム間で11時着、つまりマイナスすると5時台には出てしまう)。それでもやっぱり電車の旅の方が気楽だと感じる。飛行機は予約から何から融通がきかなくて、面倒なときが多い。

ヴァイツェンビール(小麦のビール)にハマる

さて、アムステルダム中央駅からベルリンに向けて勢いだけで電車に飛び乗った僕らは、早速Borad Restrant(食堂車)でドイツビールを購入。この時飲んだのは銘柄まで覚えている。König LudwigのWeißbierだ。初めて…じゃないけどWeizenビールに舌鼓をうち、ものすごく気に入った自分はこの電車の旅で確か5〜6本飲んだ記憶がある。なにせエアコンが壊れていて、珍しく(と知ったのはかなり後だが)非常に暑い夏でもあり、お詫びに配られたオレンジジュースじゃ気休めにもならず、もうしょうがないので5時間半ぐだぐだと小麦の白ビールを飲んでいたのだった。これからしばらくヴァイツェンにハマってたけど、いまではめったに飲まない。結構みんな最初はヴァイツェンにハマるんだけど、結局ピルスに落ち着くのである。ヴァイツェンもいいんだけど重いからなぁ。ちなみにたまにホームパーティーとかでヴァイツェン買ってきてグラス無いやつとか、ヴァイツェンをそのまま瓶で飲もうとするやつがいるけどあれは最低。やめていただきたい。ヴァイツェンはヴァイツェングラスで飲んでこそ旨さが発揮できるのだ。全くうまくないので瓶で飲むのはヤメてください。

電車は夜のBerlin Ostbahnhofに滑り込む

ここらへんは今でもはっきり覚えているのだけど、とりあえずどこで降りていいかわからなかったんで、終点のOstbahnhofまで行った。あたりは真っ暗、車内で読んでいたLonlyPlanetドイツ版(これは結構マニアックなクラブとか店も載っていて、地球の歩き方なんかより全然オススメ。が、この当時で確か2005年版、その後どうなったかはわからない。住み始めてもしばらく情報源になっていた)で仕入れた情報で、Ostbahnhofは東側、なんとなくイメージでパンクとかもいそうだし、ホームから見ると駅の周りは真っ暗だしでよくわからないのでこの日は駅のInterCityHotelに宿泊。今でこそ人は多いけど、当時のあの周辺はほんとうに人がいなかったのだ。まぁ、Hauptbahnhofはもっといなかったけど… まぁ、実際いまも当時も全然危なくはないんだけど、その時はそう思ったのだ。まぁこれは正解筋。

ベルリンの第一印象。

この後、次の日何から行動したかは覚えていないんだけど、とにかくかなり初期に嫁の一度だけあった友人だという(それが友人なのかは別として…)アーティストのHoshi Satoshi君と待ち合わせをした。彼が住んでいたのは Rosenthaler Platz。今ではMitteもMitte、週末でもそうじゃなくても人が多い、バーなどで飲む人も多い、まぁいわば”盛り場”だ。だけど当時はそこまでじゃなかった。まず第一にこれは強烈に覚えているけど、

“ボロい街だな〜!”

“人が少ないな〜!”

はすごくよく覚えている。当時からいまでもある店はと言うと…まずはSt. Oberholz。当時オープンしたてだったはず。あとCircus Hostel。これはWeinbergweg側のビルだけ。そしてBrunnen Strの角にある新しいビルの部分は空き地で、なんか瓦礫の山だった。その脇のトラムの線路沿いにはいくつかお店があって、おいしいFischsuppeを出すベトナム料理屋とかがあって、この後めちゃくちゃ通うことになる。この通り沿いにレストランが5軒くらい並んでたけど、全部なくなったと思う。このベトナム料理屋も、オヤジはどこに行ったのか…あのオヤジのスープがまた飲みたいぜ。他の目立つ店は大体無かったか、あった店はなくなったと思う。角のケバブ屋はあったが、現在の新しいCircusの方にあったケバブ屋は最近なくなってしまった。どっちも競ってておいしかったのに…ちなみにここが初ケバブ体験。

Mitte, Rosenthaler Platzで家賃が50sqm、2部屋で400ユーロくらい

これは嘘でもなんでもなくて、本当の話。当時彼はRosenthalerplatzからBrunnenstrに入った2軒めのビルに住んでいた。今は死ぬほどきれいで、多分家賃は倍はしていることだろう。50sqmくらいで家賃が400ユーロ切っていたと思う。ただしボロかったw でも十分である。ただ、この時既に改装の予定が入っていて、3月には退去しなくてはならない話になっていた。今から振り返ると、要はMitteに皆が住めていた時代の終焉の始まりっていう感じだった。(当然当時はそんなこと知らない)

たしか彼の家に1週間だけ泊めてもらっていた。当時は大体MitteとPlenzlauerbergを見て回れば面白かったので、ここらへんを早速回り始めたのだった。

続く。

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2006年に初めてベルリンを来訪、衝撃を受けて2007年より移住。以来、なんだかんだ10年位住んでます。仕事はフリーランスの英日翻訳者、最近はベルリンの壁の前のオンラインマーケティング会社でも働いています。DJもずっとやっています。

ベルリンに流れ着いてはや10年経ちました。変化の早いこの街ではこの10年で無くなったものや、新たに生まれたものなど色々あります。それらを記憶にとどめるため、記憶に留めないとどこかへ行ってしまいそうなのでブログを始めます。